こんにちは!FOR ME NYのMarikoです。
皆さんにとっての“美しさ”の定義はなんでしょうか?
今日は私が過食嘔吐に悩んでた頃、バケーションに訪れたアルーバの帰りの飛行機の中で書いたコラムをシェアしようと思います。
その頃は大きな映画の仕事をしていた事もあり、
人から見られる事へのプレッシャーが知らないうちに蓄積されていました。
よくエゴサーチはしてはいけないと言いますが、昔ニューヨークでやったCMに対して日本人の人から
“もっと美人使えよ” “いやいや、これが平均的な日本人の顔だろ”
なんて書かれているのを目にしてしまい、気にしない気にしないと思いながらも
やはりぐさっと来てしまいました。
また、その頃に過食嘔吐についてのモノログ(長ゼリフ、詩)をNYの演劇クラスの一環で書きましたが、
“15 times a day. I take off my clothes and look at my body in front of the mirror”
“一日15回、私は服を脱いで裸の自分を鏡に映す”
の一文から始まっています。
この一文からもどれ程
“人から見られる事、人からジャッジされる事”
に敏感になっていたかがわかります。
見た目への執着心がちょっと度を過ぎ始めていました。
鏡無しでは出かけられなかったほどです。
その時にバケーションでカリブ海にあるアルーバという美しい島を訪れました。
私、南国の島なのに太い腕を見せたくなくて長袖で行ったんです😅
でもアルーバに着いてすぐ行ったレストランで
真っ黒に日焼けして、色褪せたTシャツを着て
トンチンカンなメイクして大笑いしている、よく肥えたおばちゃん達に会いました。
なんかそれを見てたら、
私も見た目なんかなんでもいいや〜って思えて、肩の力がフッと抜けました。
我慢してたアイスクリームやケーキを夜遅く食べたり、
腕と足を出して
堂々と水着で街を歩いた開放感といったら!
ふと鏡に映る自分は全く満足出来るものではなかったけれど
心はすごく満たされていました。
バケーション中に、お金持ちの白人の観光客の夫婦に出会いました。
奥様はブランド品に身を固め、ネイルもメイクもバッチリしていて、旦那さんもこれぞお金持ち!と言う見た目をしていました。
しかし、アクシデントで最新のiPhoneと高級サングラスが車に踏まれて粉々になった時
お前のせいだ、あんたのせいでしょって罵倒し合っていました。
それを見ていたら、どんなにお金があっても
どんなに痩せていても、どんなにキラキラのネイルをしていても
幸せじゃなかったら意味が無いな、
人に、自分に優しくできる余裕が無かったら何の意味もないなって思えたんです。
今の自分は何をしたいか、今の自分には何が必要なのか。
もし分からなくなったら、心が折れそうになったら
急ぐ足をちょっと止めてみて
考えてみてください
自分が欲しいものや、追い求めてるものを手に入れたら本当に幸せなのかな?
追い求めてる過程もちゃんと幸せなのかな?
このバケーションで、
自分の心にちゃんと聞いてあげる事が大事なんだなと、気づく事ができました。
私は、”美しさ”という定義の根底には
まず自分自身が幸せである事。
が大切だと思っています。
“Not judging yourself”
“自分をジャッジしすぎない事”
それから
“理想の自分を追い求めている過程も幸せである事”
この二つが本当の美しさを求める大切なキーになるのでは無いでしょうか。
皆さんにとっての美しさの定義は何ですか?
今日も素晴らしい1日をお過ごし下さい。
FOR ME NY